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これは、和式ナイフの第一人者、【越前打刃物】の伝統工芸士として知られる 佐治武士さんの、鉄のお香皿です。 鉄を叩いた感じが好きです。 年季が出てきてしまいましたが… 本当は和式ナイフをご紹介しなければ、失礼だとは思うのですが 持ってないのですみません! 佐治武士氏は、鍛造鋼(金属を叩いて圧力を加えて強度を高める工法)を 用途によって使い分け、蛤刃(刃の断面が蛤の貝のように、刃先に向かって なだらかな曲線になって、厚みがあること)で、仕上げたナイフ、山林用鉈、和式ナイフ を得意とされています。 【越前打刃物】の起源は、1337年、南北朝時代、京都の刀匠千代鶴国安が 刀剣製作に適した地を求め越前に来て住まい、そのかたわら、近郊の農民の為に 鎌を作ったことから、越前打刃物の歴史が始まったといわれています。 興味深いのが、地元の越前漆器のための漆を求めて全国を行脚した 漆掻き職人が漆をとる為に、越前武生の鎌を使うと同時に この打刃物を売りまわり、注文を持ち帰ってきたことで 販路も全国に及んで行ったということです。 いろいろとつながっているんですね! 【参考文献】 「和式ナイフの第一人者 佐治武士作の越前打刃物 nikkeipb.jp 大人のこだわり」 より #
by tisow6
| 2011-10-29 17:15
柳宗悦氏の勧めで、こぎんの資料収集と研究が進み 昭和35年、技術の伝承と工芸品として産業化を目指し 「弘前こぎん研究所」が設立。 現在では8名の所員が、製品の企画から製作、営業までを 行ってます。 また、弘前とその近郊に住む約90人の刺し手に製作を 委託しているといいます。 そんな話をしていたら、弘前出身の人が近くにいて 地元では、中学校で教わるそうです。 私は、毎年、デパートの青森物産展で少しずつ買い求めて きました。 もっと多くの人に知ってもらえればいいのにと思います。 【参考資料】 「みちのく浪漫」の津軽こぎん刺しの記事より。 「地産地承 モノづくりのDNA」の津軽こぎん刺しの記事より。 (有)弘前こぎん研究所 / 青森県弘前市在府町61 #
by tisow6
| 2011-10-03 18:16
明治に入り、鉄道網の普及により物流が発達。 暖かく丈夫な木綿が身近な素材となり、 こぎん刺しは農村から消えていきました。 それに光を当てたのは、民芸運動の提唱者 柳 宗悦です。 「刺し子類としては、日本随一。 農民から生まれた純地方的な、服飾の ひとつとして、世界のどこへ出しても ひけをとらないだろう」と絶賛しました。 つづく。 #
by tisow6
| 2011-09-20 17:16
津軽こぎん刺し 一年の半分を雪に覆われる青森・津軽地方。 こぎん刺しはこの地方で生まれました。 その発祥は、240年ほど前の江戸時代。 農民の木綿の衣類着用が禁じられていたため、麻の粗い布目に 糸をびっしりと刺し、寒さをしのぎかつ衣の磨耗を防いだそうです。 農村に生まれた女性は5,6歳頃から母親とともに針と糸で遊び、十代半ばには 一人前の刺し手に育ち、お嫁入りには自らの手で仕上げた着物を 持って行ったそうです。 つづく。 #
by tisow6
| 2011-09-10 17:45
はじめまして。 主に、伝統工芸品について思ったことを綴ってみたいと思います。 20数年前、和食器を扱う仕事に就いていた時、買い付けで産地を訪れる機会があり その時痛烈に感じたのは、このままではこの産業は廃れていってしまう という事でした。 後継者不足、売上としてどうかなど・・・。 今は和が見直されてきていて、メディアなどでも取り上げられたりしてますが・・・。 買い付けで滋賀県の信楽焼の産地を訪れた時に購入した器。 鈴木巌さんの作品です。 いまは、ご家族のかたが後を継がれてやってらしゃるようです。 この他にもトルコブルーの平鉢があったのですが、買えばよかった! 薄造りで、鮮やかなトルコブルーがそれは素敵で上品な一品でした。 [信楽焼] 天平時代、聖武天皇の紫香楽宮造営に際し、瓦を焼いたのに起源、六古窯の一つ。 滋賀県甲賀郡信楽町。 #
by tisow6
| 2011-08-30 17:17
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